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Feel Love(フィール・ラブ)とは

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【Feel Love(フィール・ラブ) 祥伝社 季刊刊】



恋愛小説誌であるという。が、ロマンチックな雰囲気は思ったより希薄である。祥伝社は一ツ橋グループと呼ばれる小学館系の出版社で、従来からノウハウ本や若向けファッション情報誌などで手堅く部数を上げる。手堅い刊行物のひとつとして、漫画雑誌がある。Feel Love はその文字版といった位置づけのようである。

 

恋愛小説の本質とはすなわち、理想化した相手に対する自我の葛藤である。つまり恋愛とは「鈍化された」=「なまくら」な宗教のようなもので、観念を突き詰める代わりに手頃な偶像を措定するものだ。日本において色恋は昔からあっても、いわゆる「恋愛」概念が入ってきたのは明治期、キリスト教をロマンチシズムとして捉える風潮で確立された。

 

Feel Love  にロマンチックな雰囲気が欠けているのは、このような緩い観念性を、恋愛概念に対して認めていないことの現れだろう。もっとも祥伝社の漫画雑誌には当然のことながら、ロマンチシズムで少女たちを虜にしようとする戦略がある。観念性がなくとも、漫画にはロマンチシズムを醸す条件が整っているからだ。つまりは絵=ヴィジョンである。ヴィジュアルな偶像があるかぎり、「なまくら」な観念性は自動的に生まれる。その強度が試されるのは、それを文字化するときだけである。

 

漫画によって十全に醸し出されているロマンチシズムな恋愛をなぜ、わざわざ文字化するのか。出版社にとっては、漫画の別バージョン展開という以上の意味はあるまい。文字表現された恋愛には必須であるところの、「なまくら」な観念性を欠いた恋愛小説にはロマンチシズムがなく、その結果「現実的な」恋愛小説専門誌ができている。

 

漫画雑誌から専門文芸誌へと恋愛が「翻訳」される過程で、何かが欠落していったことはおそらく編集部でも把握しているだろう。Feel Loveでそれを埋めている「現実性」とは、ときに結婚後の風景であったり、人生全体に対する考察であったりする。文字文化は漫画よりも内省的なものであるから、恋愛の狂気じみた、非現実性を希求する状態とは反対方向にある、という解釈だろう。

 

それはそれで非常に興味深い光景だ、と思える。確かに映像が満ちあふれている現在、読者の想像力に委ね、多少なりとも観念的な偶像をイメージしつつ活字を読み進めてもらう、ということに勝算はないかもしれない。

 

もちろん一般には、わざわざ「文字化された恋愛」を出してゆく意味は、そこにむしろ映像の方がすり寄ってゆくような、最低限の観念性を備えたものを提示するためでもある。よい映画・ドラマの原作は、映像には備わっていない、文学にしかない観念・思想を有するものだからだ。

 

しかし、金魚屋プレスが Feel Love  に期待することは、そういった観念性やロマンチシズムを欠落させた恋愛の光景をもっと露骨に、これでもかと見せつけてもらいたい、ということである。

 

それによってむしろ、明治期以前の日本文化本来の「色恋」のあり様が、より現実的な姿で現れてくるかもしれない。そしてそのような「色恋」を捉えようとする映像もまたは、少女たちを騙すような大ヒット作にはならないにせよ、もっとも良質の日本映画に接近するかもしれないのだ。

 

Pat Saito / 齋藤都

 

 

 

 

 

 


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